ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このアルバムは、「モスクワコンセプチュアリズムの父」とも言われたイリア &エミリア・カバコフの、その作品と世界観にインスパイアされて制作されたものである。
越後妻有と呼ばれる、新潟県十日町市と津南町を中心とした地域で開催されている〈大地の芸術祭〉で、20年以上芸術祭と関わり続けてきたカバコフの作品群が、〈カバコフの夢〉と題したプロジェクトとして2022年に結実した。(本来は2021年に開催される予定だったがコロナで延期になった。)
2022年夏、ヒカシューはカバコフが越後妻有で作った最初の作品『棚田』を見渡せる場所に特設ステージを設置し、『「カバコフの夢」を歌う』という作品を発表した。棚田から「カバコフの夢」という古い楽譜が発掘され、それを演奏する、というイメージの元、カバコフの作品のテキストをヒカシューが歌にし、その世界をメロディに映した。このアルバムはその時に完成した楽曲を再録音・編集構成したものである。
カバコフは現在戦火の下にあるウクライナ東側のドニプロ出身であり、その後個人の自由が制限された共産主義のモスクワで非常に苦労して非公式に活動を続け、NYに移住するも亡命者としての疎外感の中で制作を行なった。その作品は身近なもの、ありふれた日常のものや言葉を使いながら、悲しみとユートピア的幻想に満ちた、架空と現実のあわいにある人生、平凡な主人公の壮大な一生の夢、記憶を映し出す。
今回のアルバムの制作中にイリヤ・カバコフ氏が亡くなり、このアルバムを直接届けられなかったことは大変悔やまれる。パートナーでありキュレーターでもあるエミリア・カバコフ氏はこの試みに大きな信頼を寄せてくれ、カバコフの作品をこのアルバムのジャケットに使用することを快く許可してくれた。
彼らが大地の芸術祭で最後に制作した『手をたずさえる塔』は、民族・宗教・文化を超えたつながり、平和・尊敬・対話・共生を象徴するものとして制作された。現在故郷で起きている戦争を、イリヤ・カバコフは亡くなる間際までどのように見つめていたのか。ヒカシューは彼の思想や世界観に共感し、この作品によって未来へ向けて手をたずさえていく。
10月に開催されるNYのMOMAでのカバコフ回顧展において、このアルバムも紹介されるとのことである。
(HIKASHU OFFICE)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「カバコフへのオマージュ」 巻上公一
実は、最近、引き出しの奥から古いメモが出てきた。
そこには、こんな文章が書かれていた。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
「すべてが完成していたら、前途にはもう何もないのです」イリヤ・カバコフ
『シャルル・ローゼンタールの創造と人生』において
カバコフは詳細にシャルルの作家像を話す。
シャルルはマレーヴィッチの弟子だったが、
リアリズムの否定には批判的だったとか、パリで自動車事故で死んだとか、
まるで実在のシャルルという画家が浮かび上がるようなインスタレーションを制作していた。
このようなスタイルを歌や音楽で表せないものか。
クレズマーをトゥバ語で歌う料理長とか。
デレク・ベイリーにギターを習っていた僧侶とか。
日本民謡の採集に訪れたインド人作曲家の歌とか。
ジョン・ケージのアリアを歌った猿の録音とか。
そのような構造を持った仕組みのアルバムを作ってみたい。
録音の方法や演奏の形態、歌唱法など、
現代における音楽のあり方を検証するような形が含まれていると面白い。
私はこれから本当に普通の歌手ではない歌手になろう。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
20年前から、ぼくはカバコフの作品にインスパイアされていたのだ。
ヒカシューに関する音源、GOODSを販売しています。
お勧めの口琴やホーメイのCD、チケットも扱うようになりました。
2019年12月、初めての詩集『至高の妄想』を出版、大岡信賞を受賞! ぜひご一読ください。
巻上公一
HIKASHU leader
巻上公一です。
超歌唱家。ヒカシューのリーダーとして作詩作曲はもちろん、声の音響やテルミン、口琴を使ったソロワークやコラボレーションも精力的に行っています。歌らしい歌から歌にもならないものまで歌います。また、それらの音楽要素を駆使する演劇パフォーマンスのクリエーターとしても活躍しています。
CD多数
ヒカシュー 『あんぐり』『生きてこい沈黙』『絶景』
ヒカシュー40周年を記念して『20世紀ベスト』『21世紀ベスト』
ソロヴォイス『KOEDARAKE』
アルタイのボロット・バイルシェフとのコラボ『TOKYO TAIGA』など。
よろしくお願いいたします。